LOF教育センター 神戸・明石校

LOF教育センター神戸・明石校のプログラムは脳の未熟な神経伝達回路をつなぎ、強化することで、こどもたちの可能性を拓き、発達を促進させます。全てのこどもたちに発達の土台を!

わたしの紹介~これまでの軌跡①

滋賀県 出身。

滋賀県民は滋賀県を愛すると言いますが、私もそのうちの一人です。
滋賀県に帰省するとほっとし、電車から琵琶湖が見えると嬉しくなります(笑)
そして、海を見ると今でもテンションが上がります。
滋賀県は海に面していないので、海の塩のなんとも言えない香りには反応してしまうのです。

高校まで滋賀県で過ごしました。

学生時代は周りに合わせて動く方だったかな。


中学時代

ソフトボール部で毎日部活三昧。
3年生ではショートのポジションを獲得。部長になりました。
顧問の先生に怒られ、怒られ、怒られながらも、必死に自主練習をした成果があり、自分で言うのもなんですが上達しました。
先生に認めてもらったのは嬉しかったです。


高校時代

野球部のマネージャーになり、部員と共に甲子園を目指しました。
マネージャーになっていなかったら看護師にはならなかったかもしれません。
今でも、部員とは仲間として絆があり、監督とも長いお付き合いをさせて頂いています。

中・高とも部活一色でした!



大学

看護学部に入学。
一人暮らしを経験し、楽しいながらも勉強、勉強、そして実習の学生生活を送りました。


大学ではボランティア部に所属し、部長をしていました。


部活動では、ダウン症の子どもの普通学級での補助支援を毎週行っていました。

主に体育でしたが、その後は教科学習時間も入ってほしいと校長先生からの希望があり、部員で時間割を割り振り、可能な限り支援に入っていました。


子どもたち、かわいかったです。


この小学校の校長先生は本当によく子どもたちのことを考えておられたなあと今思うと感じます。


他には、自閉症の講演会時の託児支援や脳性麻痺の子のリハビリサポート、震災発生後の復興ボランティアなど良い経験をさせてもらいました。


ベビーシッターのアルバイトもしていました。

母子家庭で朝早く出勤せねばならないお母さんの代わりに子どもを保育園に連れて行ったり、帰宅が遅くなる日に子どもを家でみるというような仕事が主でした。

学生ながら、お母さんの大変さを感じながらも、自分も子どもと遊んで癒される反面げっそり疲れることも多々(笑)


振り返れば、現在につながることをたくさん経験させてもらっていたなあと感じます。



大学を卒業し、看護師保健師の国家資格を取得。

病院勤務

病院に入職。
消化器・乳腺一般外科で勤務。
多くの癌末期の患者さんと向き合う。


たくさんの課題や問題にぶつかりながらも、人間の生死、本能の部分や家族についても考えることが多く、自分の価値観を築いていく大切な期間でした。
この頃の職場の同期や先輩、後輩とは今でもつながり、大切にしています。



大学教員(助手)

病院勤務後、大学時代の恩師からの誘いを受けて、私立大学看護学部の看護学科の立ち上げ要員として助手(現在の助教)勤務。
看護学生の基礎看護の技術演習や基礎実習の指導、各分野の研究に力を注ぎました。
学生たちのフレッシュさをもらいながらも、人と関わる困難さをもつ生徒も少なくありませんでした。
どのように伝え、考えてもらったらいいのだろう。
モチベーションを高めつつ、常識やルールを教えることについても日々試行錯誤でした。
大学での勤務は私の私的な事情で短い期間でしたが、学生たちにもらった「ありがとう」の気持ちのこもった色紙は今でも大事にしています。

中国生活

結婚と同時に、夫の転勤で中国・蘇州に行くことになりました。
蘇州大学短期語学研修に留学。
その後、移動により上海で生活。
東華大学短期語学研修に留学。

多国籍クラスの中で中国語を学ぶ。
中国語を通して、たくさんの人とコミュニケーションがとれる嬉しさと楽しさを感じました。話したいという思いから、中国語は上達しました。
台湾人や韓国人の友達が多かったように思います。楽しかった。



出産・育児

上海での生活の中で、2人の子どもを授かりました。

異国の地で幼い子を2人抱えるのは私にとっては、楽しいこともありましたがしんどいことも多かったです。


娘は特に寝ない、食べない、難しいと感じる子でした。
また、病気がちで冬場は休む間もないくらい、次から次に感染症にかかり、病院通いの日々。
中国の大気汚染や薬、食物の影響を心配し、空気洗浄機を2台回して(-_-;) できる限りの対策を取りながら生活していました。
娘は親の心配もよそにすくすく育ってくれました。
感受性が強く、しむら動物園を見て泣いたり、漫画でも大声をあげて泣いたり。
お友達への関心も2歳前には芽生え、今でもそのころに出会ったお友達は今でも忘れず一番の友達だと言っています。


息子はよく寝る子(笑)
とても穏やかで、お姉ちゃんもすごくかわいがってくれました。
2歳前に何かしらの感染症から上海の病院に入院した時は怖かったです。
状態も悪く、しかも異国の地で文化・風習も違う空間での入院の恐怖は忘れられません。
でも、蘇州・上海で出会ったお母さんたちとは部活動のような結束があり、たくさん助けてもらいました。
本当に周囲の友達のありがたさを感じた6年間でした。
その後、日本に帰国。

「わたしの紹介~これまでの軌跡②」へつづく